自分の生き方は随分とひどい生き方だといつも思う。 今までどれだけのものを切り捨ててきたのか考えると、自分がどれだけ残酷で、自分勝手て利己的か思い知らされる。 今まで沢山の人間を私は切り捨ててきた。沢山の人間を選別してきた。 すごく悪い表現だけど、自分がやってきた事は選別以外の何ものでもないと思う。 もちろん自分はそんな人間の選別ができるくらい偉い存在なんかじゃないし、その選別に確固たる基準がある訳でもない。 すべては私の独断と偏見で行われてきた。 それはとてもひどい生き方だと思う。 でも自分がそういう生き方しかできない事も私は知っている。 二十歳の私が今取っている生き方は、二十年間という中途半端な時間の中で、自分を傷付ける全てのものから自分自身を守るために身に付けてきた術であって、そうした生き方が一番よく私を守るのだという事を、不幸な事に私はよく知っている。 私は残念ながら自分を裸のまま危険にさらしてまで他人の心を守ろうとするほど優しくないし強くもない。 そんな風に強く優しくあろうと努力した時期もあったけれど、その努力のすべては無駄に終わり、結局元の位置に戻ってきてしまった。 だから、自分はこうして沢山のものを切り捨て傷付けて生きるしかないんだろうと思う。 村上春樹の小説の中で、主人公がノートに今まで失ったものを書き出したらあっという間にノートが一杯になってしまうだろうと考えるシーンが何回か出てくる。 でも私の状況の方がよっぽど悪い。 なぜなら、私は失ったものを何一つとして思い出せないのだから。 |
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